続・となりの詩人妻

関西を中心に活動中。朗読する詩人・河野宏子のブログです。

GEZANのライブに行ってきた

ゆうべはGEZANというバンドのライブへ。

平日の夕方に、お客さんとしてライブハウスに行くなんて

5歳の子持ちのわたしには

本来、なかなかできないことなのだけど

それをさせてしまうこのバンドの魔力はすごい。

 

ライブは楽曲の振り幅が大きく、

それでも全体的に筋が通っていた

激しいものが多いかと思っていたけれど

案外プリミティブなダンスミュージックが多く

身体の真ん中に原始的な炎が灯る感覚。

 

共演のbachoも誠実な歌を歌ういいバンドでした。

 

ここには詩を貼ることがなかったので、

少し前にソロライブ用に書いた詩を。

 

「祈る詩人(友人への手紙)」

 

分厚いパーカーを着ていても凍えるぐらいの風が吹く秋の夜

堺の港の防波堤であなたと GEZANってロックバンドの演奏を聴きました

空き地に組まれた 

焚き火みたいに真っ赤な野外ステージの前には

砂埃を上げてぐちゃぐちゃになるモッシュピット

楽しそうに大暴れしてるのは

わたしたちの半分ぐらいの年齢の 男の子 女の子たち

とてつもなく大きく熱いキャンプファイヤーみたいな

その景色があまりにきれいで

大笑いしながら涙が止まらなくて 嬉しくて

40歳は思ってたのと随分ちがうなって わたしは思った

 

その夜は秋の大阪にしてはほんとに寒くて

粕汁の屋台を出したいよねぇ、なんて話しながら

防波堤から眺めた海沿いの灯り 

海を見守っていた退屈そうな女神の像

たぷたぷする黒い海 潮風の匂い

きっと十年後にも思い出す景色と温度 

爆音を聴いたあとの 耳が遠くなる感じ

忘れないよね きっとね

 

わたしね

大人になってもつまらないことしかないのかと思ってたよ

女の子に生まれたことは 大人たちに残念がられることで

楽しくない未来しか想像できなかった

子どもの頃のわたしに会ったら教えてあげたい

生きてて良かったって思える日はときどきやってくるよ

探すことや作り出すことを忘れなければ必ずくるよって

 

今かかっているこの曲は

キースジャレットの God Bless the Childと言います

小さい頃 

日曜学校に通っていたわたしは

お祈りとお願いごとの違いがわからなかった

 

死んでしまうことと生まれてくること

不幸と幸福

醜さと美しさ

ほんとうははっきりと分けられていないふたつ

 

地面から うんと高いところへ

届くか届かないかは重要じゃないのが祈り

紙に書いた詩は 朗読すると祈りに近づく

お願い事は遠くへ飛ばないと意味がない紙飛行機みたいなもの

 

最近、

息子が将来の夢を話してくれるようになったよ

それでやっとわかった

そのまなざしを見つめているときの

あの気持ちが祈りなんだね

 

 

生きていれば失くしたくないものが 

忘れたくないものが

ずっとずっと生きててほしい人が増えていく

悲しいことじゃないはずなのに 涙が出る

 

秋の夜 海のそばで

ロックバンドの爆音を聴いたあと

防波堤を歩きながら 過去と未来の誰かに 

小さかった あなたとわたしに

しわくちゃになった あなたとわたしに

そしてわたしたちの かわいい子どもたちに

 

見えない大きな旗を掲げてみせるような気持ちで

これでいいんだって思ったよ

わたしはずっと誰かになろうとしてたけど

これでいいんだって

生まれたての赤ん坊の

閉じてない頭の骨みたいな自分の感受性が

大人になっても扱いづらくて きらいだった

だけど40年経ってもぐずぐずのままだから

開き直りかもしれないけど

もうこのままおばあさんになるしかなさそう

あなたと笑うと 増えていく白髪も

これでいいんだって思える

 

何回転んでも 泣きながらだけど立ち上がれてしまう

弱いんだか強いんだかわからないけど

結局のところわたしたちはきっと とても強い

 

いつも話を聞いてくれてありがとう

あなたの作るご飯はだからとても豊かなんだな

愛の毛布をこれからもずっと広げていてね

毎日 だいじな人たちを包んであげてね

わたしも忘れないようにするから

 

詩人というのはやっぱり

へんな生きものだね

いつでも会えるはずのあなたに

泣きながら こんな手紙を書いている

 

そして耳を澄ましてる

十年後にわたしたちがあのロックバンドのことを思い出す頃

わたしたちの子どもたちが夢中になっているだろう

聴いたこともない音楽に

 

百年後 わたしたちがいなくなった世界で

それでも誰かが奏でている 祝福の音楽に