続・となりの詩人妻

関西を中心に活動中。朗読する詩人・河野宏子のブログです。

食いちぎられてもまた

誕生日を過ぎてからどうにも焦りがひどくて、焦るばかりで何もできずにソファに埋もれて映画を見続けまたお酒を飲んで時間を過ごした。手の中には色のない使いかけの絵の具のチューブ。ほらもうこんだけしかない。もう何やってもだめなんじゃない?いやでもまだあと40年以上はきっと生きるしその間ずっとソファに埋もれている訳には行かない。そして長生きする割に肉体が思うように動いてくれる時間は思ってるよりも短い。30年?20年?いやもっともっと短いかもしれない。画面の中では腕や舌が勢いよく吹っ飛んでいる。いつどうなるかなんてわからない。だったらいま持ってる絵の具で何とかしないと、まずは。あたしにはいつでもこれしかない。焦っても掌のパレットは広くならない。

恋は消費、愛は生産だとふと過ぎる。消費されることは悲しいの?消費することはただ気持ちがいいの?消費される気持ちよさ、消費することの罪悪感。そんなのはヒトだけが持ってる贅沢品かな、あたしは消費される気持ちの良さがどこかにあると考えている。ライオンに食べられる草食動物は一瞬うっとりして見える。恋で消費されるヒトはもっと深く酔いしれ与えることができて、それは消費されたって身体のどこかが吹っ飛ぶ訳でもないのを知ってるから。どんだけ死にそうに思えても朝が来て夜になって目視ではわからないほどの速度で色褪せそのうち忘れてしまい、また新しく溢れ出てくるものだから。一方で出産はいのちを削る。可能性を削る。可能性を削って愛を再生産する。家庭は畑かもしれない。昨夜は息子の髪を切った。あたしと夫、どちらに似たって多毛に決まっている息子の髪は襟足しか切らなかったのに小さめのコンビニ袋一つ分ほどになった。愛されているのでぐんぐん伸びている、真っ黒くつやのある髪。脱ぎ捨ててまた大きくなっていくいのち。

 

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縁日でカブトムシをもらった。テーブルの上に置いた小さなプラスティック容器の中でじたばたと滑りながら手足を動かし、与えた虫用ゼリーをたらふく食べる様子は愛らしかった。虫に愛らしさを感じることがあるなんて思いもよらなかった。保育園に寄贈したあと、翌朝のテーブルには少し物足りない光が差していた。