続・となりの詩人妻

関西を中心に活動中。朗読する詩人・河野宏子のブログです。

9月15日(日)の「ことぶき!」、河野がセッションします

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2019年9月15日(日)18:00開場 19:00開始

ことばのオープンマイク「ことぶき!」

料金:ワンドリンクオーダー

場所:ライヴ喫茶亀

出演:河野宏子・ヨーロピアクラッチ・ヤング嶋仲 ほか

 

オープンマイク>>
詩、歌、ラップ、漫談、弾き語り、愚痴、惚気etc.

言葉を使った表現であればどんなものでもウェルカムです。

エントリーすると、ひとり5分舞台の上でパフォーマンスできます。

 

※エントリー受付しています。ツイッター @kohnohirokoのDMもしくは kohnohiroko79@gmail.comまでどうぞ。

 

 

そして!

今回はオープンマイク終了後、

ヨーロピアクラッチ×河野宏子のセッションやります!

ヨーロピアクラッチは、女性二人の超かっこいいユニット。
動画みてくださいな

youtu.be

それから!

当日限定で、河野の秘蔵作品(詩・小説)を販売します。

どんなものになるかは追ってお知らせします〜

ちまめcolor

 二年先の流行色まで偉い人たちが会議して決まっているらしい。色彩の勉強をしているときに知って驚いたことだ。道ゆくお嬢さんのワンピースの色合いも、新しくできたホテルの壁紙の色も、タオルのカラーバリエーションも、顔も知らない偉い人たちが選んだ色に染まっているだけかもしれないだなんて怖い。そんな風に世界を覆っていくサブリミナルカラーが、月の満ち欠けみたいに無意識にあたしたちに作用しているとしたら。偉い人たちが善良な人たちだとは限らないのはもう十分知ってる。

 足の指も手の指も「爪先」には違いないのに足の先だけを「爪先」と呼ぶ不思議。手の指には塗らないマニキュアを、足の先には欠かさない。そういえばマニキュアも足の先だけ「ペディキュア」と呼ぶ。何も塗らないままサンダルを履くのは何だか下着を穿き忘れている様な感覚になってしまう。塗ってない日は代わりに靴下を履く。全く代わりになんてならないのに。隠すための靴下、主に自分で眺めるためだけのペディキュア。肌が沈んで見えて憂鬱になるので寒色系はまず塗らない、ちまめみたいな、溜まった血の色ばかり揃っていて、これも偉い人たちの思惑に沿っているだけなのかと思うといつも薄っすらとつまらない気持ちになる。とはいえ自分で混ぜるなり重ねるなりしてカラーを作るほどの情熱はない、誰かが決めてくれたことは安心できる。

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 今までずっと公言していなかったけれど、「ぬいぐるみを愛してやまない」という一種の性癖をエッセイに書いた。She isさんのメンバー限定記事で読めるようになっています。明るくはあるけど狂ってると思うし、歪んでもいる。家庭なんてどこも何かしら歪みがある、測れるものなんてない。それでも我が家だって流行りの色合いに染められた皮革でできたランドセルを買い、一昨年の色のシーツで眠るんだ。

 

 

 

食いちぎられてもまた

誕生日を過ぎてからどうにも焦りがひどくて、焦るばかりで何もできずにソファに埋もれて映画を見続けまたお酒を飲んで時間を過ごした。手の中には色のない使いかけの絵の具のチューブ。ほらもうこんだけしかない。もう何やってもだめなんじゃない?いやでもまだあと40年以上はきっと生きるしその間ずっとソファに埋もれている訳には行かない。そして長生きする割に肉体が思うように動いてくれる時間は思ってるよりも短い。30年?20年?いやもっともっと短いかもしれない。画面の中では腕や舌が勢いよく吹っ飛んでいる。いつどうなるかなんてわからない。だったらいま持ってる絵の具で何とかしないと、まずは。あたしにはいつでもこれしかない。焦っても掌のパレットは広くならない。

恋は消費、愛は生産だとふと過ぎる。消費されることは悲しいの?消費することはただ気持ちがいいの?消費される気持ちよさ、消費することの罪悪感。そんなのはヒトだけが持ってる贅沢品かな、あたしは消費される気持ちの良さがどこかにあると考えている。ライオンに食べられる草食動物は一瞬うっとりして見える。恋で消費されるヒトはもっと深く酔いしれ与えることができて、それは消費されたって身体のどこかが吹っ飛ぶ訳でもないのを知ってるから。どんだけ死にそうに思えても朝が来て夜になって目視ではわからないほどの速度で色褪せそのうち忘れてしまい、また新しく溢れ出てくるものだから。一方で出産はいのちを削る。可能性を削る。可能性を削って愛を再生産する。家庭は畑かもしれない。昨夜は息子の髪を切った。あたしと夫、どちらに似たって多毛に決まっている息子の髪は襟足しか切らなかったのに小さめのコンビニ袋一つ分ほどになった。愛されているのでぐんぐん伸びている、真っ黒くつやのある髪。脱ぎ捨ててまた大きくなっていくいのち。

 

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縁日でカブトムシをもらった。テーブルの上に置いた小さなプラスティック容器の中でじたばたと滑りながら手足を動かし、与えた虫用ゼリーをたらふく食べる様子は愛らしかった。虫に愛らしさを感じることがあるなんて思いもよらなかった。保育園に寄贈したあと、翌朝のテーブルには少し物足りない光が差していた。




次回「ことぶき!」は8月15日お昼開催です。

次回はお盆中の平日お昼間に開催。
夏休みやし、お子様も一緒にいらっしゃいませ〜

 

ことばのオープンマイク「ことぶき!」

2019年8月15日(木)13:00開場 14:00開始

料金:ワンドリンクオーダー

場所:ライヴ喫茶亀 (大阪 谷町九丁目/上本町)

MC:河野宏子・ヤング嶋仲

 

持ち時間ひとり5分、
楽器はセッティングに時間のかからないもののみ可。

詩の朗読に限らず、歌でも漫談でもラップでもそれ以外でも

なんでもいいよー。

 

※エントリー受付しています。ツイッター@kohnohirokoのDM

もしくは kohnohiroko79@gmail.comまでどうぞ。

 

砂溶け

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昨夜は久しぶりの「ことぶき!」でした。

ご来場、ご参加ありがとうございます。

 

(今回長いです。大したことは書いてませんので暇でたまらん人だけどうぞ)

 

 六月上旬からずーっと時間が止まってるような感覚だった。twitterは頻繁にしていたけれどブログを書く気には全くなれず、詩も見せられるものは少なく、手書きの日記ばかりページが進み、自分の周りだけ空気が砂なんじゃないか、空気だけじゃなくて時間も砂なんじゃないか、といった様子でずっしりと身も心も固められてしまっていた。感情は時間といっしょに過去へ過去へと流れていくものなのだと思い知った。時間が過ぎてくれないと感情も過去に行かない。助けられることも死んでしまうこともなく、ずっと溺れ続ける感覚。でも昨夜久しぶりに詩を朗読したら、やっと周りの砂がぐずぐずと溶けてくれた気がする。涙がちゃんと出たからかもしれない。息をするとまだ胸の真ん中に、チキチキボーンぐらいの骨が横向きに支えていて、きつく息を吐くとぽきん、と折れる気配がする。要はまだ悲しい。

 

 六月から今月にかけては詩人らしいことをそんなにしなかった。生活のための労働時間以外はただひたすら角瓶をソーダで割って飲んだり筋トレをしたり韓国映画を観ていた。いつの間にか一つ歳をとり、ケーキの予約もご馳走の準備も自分でするのが馬鹿馬鹿しくって雑に過ごしてしまった。映画『渇き』が好きすぎてDVDを購入し”ハッピーバースデー”のシーンを繰り返し観ていた。ベッドシーンも好きすぎて何度観たかわからない。この映画の音楽も血の中に溶かしてしまいたいぐらい好きだ。

 

 頭の中から言葉を追い出してしまえる瞬間がとても好きなくせに、いつも言葉で溢れ返らせている。クローゼットはパンパンでもう洋服が入らないのに新しく買う服のことを考えてしまうのに似てる。いつでもいっぱいいっぱいでそれがふつう。この数日は「エロ」と「エロス」と「ポルノ」の手触りの違いについて考えてる。ポルノのワードを冠した写真展に行ったからなのだと思う。詩を書くとき以外でも、言葉の手触りについて比べたり定義づけたりするのはもう癖のようになってしまっている。辞書で調べるのは納得いくまで言葉を観察した後でしかしない。先に知ると観察に先入観が入るから勿体無い。「ポルノ」は「エロス」に比べてずっと商業的な側面を帯びている。「エロ」はポップで裾野が広い。広すぎて追えない、ファストファッションみたいだ。「エロス」は性的なものに限定されない、性というより生の根元に近い感じがする。商業的に消費されないもの。聖とか邪とか分けられる以前のもの。そして仮に消費されたとしてもまた湧いてくるもの。だとすると件の写真展がポルノ、と題されていたのをどう解釈しようか。まだ考えてる。

 

 七月になって息子はお泊まり保育に行ったし、下の前歯が抜けたし、プールに顔をつけられるようになった。近いうちにランドセルを買いに行かなくてはいけない。卒園式の後に謝恩会をすることになって、連絡係をすることになった。クラスでひとりっ子は我が家だけという事実に今更気づいて小ぢんまりした崖から後ろ向きに水に落っこちるぐらいの動揺。そうか、悲しみに浸っていられたのはわたしがひとりしか子を産まずさして労働もせず砂に埋もれてじっとしている暇で退屈な存在だったからなのか。そろそろ梅雨も明けるから、溶けた砂を洗い流す。詩人は詩人の仕事をする。わたしは、社交辞令を真に受ける間抜けな自分が嫌いではありません。

 

 

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